おはようございます。

先日、とある朝市で生きたしゃこが一盛り500円で売られているのを見つけ、思わず買ってしまいました。途中スーパーに寄って他の食材を買ったりしましたが、鮮度が落ちないうちに(まだ生きているうちに)家に帰り、すぐに鍋に入れ、水に塩を加え加熱。沸騰してから8分ほど茹でてざるにあけました。

冷めてから、冷蔵庫に保存。お酒の飲める夕食の時に殻を剥いて食べました。

思い起こすと、しゃこをこうやって食べたのは20年ぶりくらいだと思います。私が子供のころは知多半島ではあたりまえの食材でしたが、いつの間にか全ての食材をスーパーで揃えるようになってしまい、たまに茹でたしゃこを見かけることはあっても、生きたままのしゃこを買うことはありませんでした。

昨年あたりから「つまるところ地産地消が、安くておいしい」ことに気付き、朝市なども覗くようになったところです。ちなみにこういった海の幸は、20年前くらいまでは「ボテフリさん」という方たちもまだ健在で、漁港からそれぞれの「お得意さん」の家々に届けてくれていたように思います。

かつての知多半島では当たり前のことだったとはいえ、鍋の中で泳いでいるしゃこたちを火にかけることには、少し抵抗を感じてしまいました。自分が「殺生をしている。」と、まさに実感するからです。でも考えてみると、スーパーでパックに入った食肉や切り身の魚を買うことは、殺生する心の負担を誰かに肩代わりしてもらっているにすぎません。

「人間は食べ物となる生き物の命をいただかなければ、生きられない存在である。」。たまにはこの事実を思い起こす機会があった方がいいのかもしれません。

食べ物を粗末にせず大切にすることに繋がりますし、なによりも、この与えられた命を粗末にせず、大切に生きようとという気持ちにもなれるような気がします。

 

久田

 

P.S.私の 地元大谷では「しゃこ」ではなく、「ざっこ」と呼んでいました。「ざっこ」は「雑魚」なんでしょうか?そのくらいありふれた食材でしたが、産地でなければ珍しい食材なのかもしれませんね。