皆様、おはようございます。

本日は休館日でございます。公民館、図書館、体育館をご利用だった皆様に大変ご迷惑をお掛けしています。6日の火曜日より改めてご来館をお待ちしております。

それでは、以前青海のブログで予言していたように、「公民館宝捜し」編は南陵公民館の和室の茶道具を中心に続けたいと思います。(長文注意!)

密かに眠っているとは言えないのですが、しばらく休んでいるように見えている、和室の茶道具。少なくとも私は1年少しこちらで仕事をしていて、南陵で茶道が行われたことは聞いたことがありません。(青海市民センターの方は1回茶道のイベントがあったようです~) 私はあまり詳しくはないのですが、一見、道具はほぼ全部揃っているみたいで、いつでもお茶を点てれる状態になっているのではないかと思います。茶道には道具は数多く用いられていて、素人の私にとって謎のものはいっぱいあって、さすがに早速茶道と華道の道具を交じってしまいました(写真でミス捜しをして下さい)。

柄杓(ひしゃく)、水指(みずさし)、水注(みずつぎ)、茶筅(ちゃせん)、茶巾(ちゃきん)、茶杓(ちゃしゃく)、茶入(ちゃいれ)、棗(なつめ)、などなど~

こちらは立派な茶釜ですが、中を見たら電動だということはわかりました。小さい電子コンロが入っているのですが、それを取って頑張れば炭でも火を付けれるとは思います。

更に華道のための道具も多種。道具の役割は最初はなぞのものがたくさんあります。道具はいっぱいありますが、「茶の湯」(茶道の別称)の正義は決して道具の数や質の良さではなく、これらの道具で表現している思想そのものだそうです。「湯」さえあればお茶が点てられるそうです。

茶道の思想には「和敬清寂」という(四規)、4つのポイントがあるようです。
この「四規」のことは私も最近知りましたが、日本に暮らしていて、決して古くなった思想ではなく(意識している人は多くないかもしれませんが)いまだに毎日の日本の生活の中でよく感じられる考え方いっぱい含まれているように感じます。

田中著作「茶道入門」によりますと

「和」といえば、「上下の和、夫婦の和、朋友の和、人と人が交際をするのに、かならず必要なものであります。柔和の意味も含んでおりましょう。表面は親しくそうに見えながら、心の中では角突き合いをしているようでは、けっして和ではあります」という風に書いてあります。
茶道の思想でいう平和は人と人の平和だけではなく、自然との平和も含まれているでしょう。

「敬」といえば「…尊敬の意味であります。自分より優れた者を敬うのは当然ですが、たとえ同輩にでも、目下のものにでも、心に敬う気持ちがなければ、上を侮り、下を見下すようになります人間はだれでも、その人格を尊重し、敬わなねばならない…「敬」はまた「礼」のもとともなります」。
現代の日本で言うとお辞儀や「よろしくお願いします」をいうときとか、上下関係があっても、それからあまり好きじゃなくても、できれば相手を平等に思っているということを表現しています。ここで「気を使い」の文化も根付いているかもしれません。

「清は清浄の意。掃除をして清潔にすることはもちろん、心の中までも清浄にすることであります」

といえば、以前から日本人に関して、「きれい好き」だという印象がありました。土足禁止で何回もスリッパ―履き替えたり、お風呂の入り方とか細かかったり、どんな場面でも片づけをしっかりしたり、マスク文化など、様々な場面できれい好きだというところはみられます。

「寂は物静かなことで、心の煩悩をはらった境地であります。無念無想とも言います。」あるいは「何事にも動じない心を持つということです。
「寂」にまた「侘び」も繋がっていくのですが、ものを完璧じゃないまま鑑賞する、使用するという思想だそうです。これも日本の生活の中で、よくみられますが、ものや道具の改良をせずにその工夫を凝らせるために力を入れている感覚です。

茶道は一見ただの贅沢な遊び(そういう面も確かにあります)にしか思われないかもしれませんが実際は何よりも複雑なアートでもあります。お茶、書道、華道、懐石料理、庭園、更に禅宗の瞑想のことまでマスターしないといけない総合的な芸術です。という風に言ったら即行諦める方は多くいらっしゃるかもしれませんが、とりあえずおいしい抹茶の点て方より試してみてはいかがですか? どうぞ南陵公民館の和室をご利用下さい。お待ちしております。

文、写:Gyula