こんばんは。

台風19号は東日本・北日本でで大きな被害をもたらしたそうですが、台風が去ったあとはいよいよ秋本番。穏やかな天候が続くとともに風が肌寒く感じることも多くなってきました。「冬」がやってくるまでの行楽や諸活動に適したシーズンはそう長くはないかもしれませんよ。

 

さて、今日の話題は、南陵公民館の地元「南陵地区」にある、「阿野」という地域にまつわる話題です。

この地域は、地名を「阿野」に「西」をつけて「西阿野」と呼ぶこともあって、住所も正式に「常滑市西阿野」となっている地域もあって、「なぜ西阿野なのか?」と子供のころからずっと疑問に思っていました。

2年ほど前、テレビのニュースで豊明市にある「阿野」の話題が紹介されたときに、一緒に見ていた父に「豊明の阿野が東阿野で、常滑の阿野が西阿野。」と教えられて、そこではじめて阿野の地名にまつわる話を知りました。

常滑市立図書館南陵分館にも所蔵されている、『常滑の城』吉田弘著(常滑の史跡を守る会) 第三章 常滑地名物語 p193 に次のように書かれています。

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「尾張国地名考(おわりのくにちめいこう)」に、西阿野について、「後世西の字を冠(あたま)に置る(すえる)は郡内に同名出来たればればなり。」‥‥(中略)‥‥同じ知多郡内に「阿野」の地名が二つになったとき、知多半島の北東部にある「阿野」(今の豊明市内)に「東」を冠し、ここ常滑市の「阿野」に「西」の字をつけて区別したというのです。

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現在の豊明市あたりまでかつては「知多郡」だったそうです。そのあたりにも「阿野」があった、とのこと。二つの「阿野」を区別するために、現在の豊明市の阿野を「東阿野」として、常滑市の阿野を「西阿野」としたということらしい‥‥。

ちょっと興味が湧いて、仕事が休みの日に「豊明の阿野」を訪れてみました。

ネットで調べると、国道1号線沿いで名鉄豊明駅の辺りが「阿野町」となっているようです。

まずは、豊明駅から歩いて「国定史跡阿野一里塚」へ。豊明駅から国道1号線を名古屋方面へ、つまり旧東海道を前後(ぜんご/地名)の方へ下って徒歩5分ぐらいのところです。

「阿野一里塚」の石造りの本体は目立たないですが、「国定史跡 阿野一里塚」の看板でその場所を見つけることができました。

道の反対側には、森市雪(もりいちせつ)という俳人の俳句の碑もありました。

写真では見えにくいですが、「春風や坂をのぼりに馬の鈴」。

 

豊明駅の辺りをぶらぶらしながら見つけた、この地が「阿野」であることを示す画像をいくつか紹介します。

「東阿野」という地名も部分的に生きているようです。

最後に、常滑市と豊明市双方の阿野で見つけたよく似たものを並べてみます。

まずは土地改良の記念碑。

お次は同じコンビニチェーンのお店。

そもそもなぜ「阿野」なのか?について、『常滑の城』では二つの説を紹介しています。

一つは「阿野は青野なるべし。」。もともと青々とした野原を「青野」としたのが変化して「阿野」となったという説。

もう一つは、「阿野」は、大津の天台宗園城寺の門徒宗を指す言葉で、南北朝時代、ここが園城寺の所領であった関係からつけられた、という説。

どちらが真実なのかはよく調べないとわからないことだとは思いますが、歴史にはまだわかっていないことがいっぱいあって、この地域もあらためて歩いてみると興味深いことに出会えるかもしれませんね。

 

阿野の民の血を引く‥‥久田